妙法寺薬師堂。智頭町上市場。
撮影 2014,4,16 日。
すぎっ子バス本谷線-芦津線下り「中学校前」バス停。
目の病にご利益有りと聞く。
境内はかなり狭いが、つい先日この場所で祭礼が行われたという。
神亀年中(724~729)行基菩薩が堂宇を建立、
釈迦如来を安置して開基。
天長年中(824~834)弘法大師の弟真然僧正は布教旅の途上、
しばらく当地に滞在し布教に努めた。
それ以後妙法寺には高野山から住職の移住が引き継がれてきた。
天文年中(1532~1555)兵火により焼失。
本尊は難を逃れたので堂宇再建するも、
高野山住職連中は高野山三?院に引き上げるに至った。
以来檀家も減り無住職時代が続いたことによって、
妙法寺は荒廃していった。
-智頭町誌ー
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「智頭町誌」によるー妙法寺伝説ー。
六十四代円融天皇の天禄元(970)年頃、上市場に純殿太郎という者あり、
山中にて金色の光を見出して掘り起こしてみれば、一尺八寸の薬師如来像が現れた。
家に持ち帰って祀っていたところ、
旅僧に「信仰厚ければ難病たちどころに治る尊体である。
この上の岩体山こそ一つの霊山なり」といわれた。
太郎は早速岩体山に堂宇を建て薬師如来を祀った。
寛弘二(1005)年には「妙法寺」は六坊を有する伽藍を誇り、
寺勢はさかえていた。
(古図には現在地周辺が広大な妙法寺領であったことが記される)
しかし享禄年中(1528~32)兵火にて堂宇ことごとく焼失する。
近世、小さな祠が再建されていたが
昭和二十四(1949)年の火災で四体の尊像を焼失した。
その後再建された現在の薬師如来堂には、寄進された薬師如来像と、
江戸中期頃の正観音菩薩立像等が祀られている。
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すぐ前の畑で農作業しておられたご婦人と一緒にお参りさせてもらった。
智頭中学校改装中。
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