富沢神社と河村神社。智頭町富沢区中河原。
撮影 2014,4,18日。
すぎっ子バス富沢線-新見橋下車。
バス停を降りて新見橋を渡り、道なりに進めば徒歩2~3分で富沢神社鳥居前に着く。
鳥居。宝暦十三 (1763) 年建立。もともと中河原の「山の神」として始まる。
文明二 (1470) 年、出雲熊野神社の分霊を勧請して創建したという。
慶長五 (1600) 年本殿再建。後、元文三 (1738) 年にかけて社殿再建。
明治元年に「田(そうだ)神社」と改める。
昭和四十二 (1938) 年円尾神社(新見)を合祀。大正四年には惣地神社を合祀。
現名「富沢神社」としたのは大正五 (1917) 年のこと。
民家の前庭に入り込む感じで奥へ進む。
社名の「河村」とはこのエリアを支配していた豪将-河村氏による由縁のようだ。
河村神社のある新見と、富沢神社のある中河原には新見川を挟んで目に見えない壁があるように感じる。
この地区の史記(智頭町誌)を見れば、文政二 (1819) 年、新見村と対岸の中河原村の間に「山争い」なる事件があったそうな。
しかし、その六十一年後の明治十一 (1878) 年、中河原村を吸収するかたちで両村は合併した。
いまでは富沢神社は新見一帯の共用施設と思われるが、
過去の因縁からか、新見の人には旧中河原に対して抵抗感があるような気がする。
荒神社へ。河村神社からさらに集落の奥へ、旧富沢小学校手前新見寺谷に鎮座する。
この荒神社の棟札に「水中主尊勧請三宝荒神宮今立」とあり、
慶長元 (1648) 年の創建と認定されているという。
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